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オイリー肌向けの化粧下地というものがあります。

オイリー肌の人にとってこれからの暑い季節は皮脂と汗が混ざって、より一層顔がテカりやすくなります。
そこでこの季節を乗り切るためにオイリー肌向けの化粧下地を紹介しようと思います。
化粧下地ですが、下地だけを塗って「すっぴん風メイク」というスタイルにもできます。

紹介する下地はミムラスムーススキンカバーです。
まだ新しめの商品ですが、メディアへの露出も増えてきた注目の化粧下地です。
私はまだリアルショップで見かけたことはないので通販でしか買えない商品かもしれませんが、実際に使った人の評判は悪くない商品です。

小さめの容器にふわふわのホイップクリームのような柔らかいクリームが入っています。
その柔らかいクリームを顔全体に塗るわけですが、塗るときのコツは少量を薄く伸ばしていく付け方をすることです。
たくさんつけたり、一か所にベタっと付けてはダメです。
商品の特徴としては、パウダー配合のサラサラな仕上がり、皮脂による顔のテカリを抑える、肌のシワやデコボコをカバー、日焼け止め効果、老化防止にも役立つビタミンE配合という特徴があります。

参考:http://xn--eckl7qsc507qklgbvhg64fllh.com/

 
<皮脂の取り過ぎに注意>
オイリー肌に悩む人はとにかく皮脂を根こそぎとってしまいたいと思うかもしれません。
しかし、顔の皮脂は適量であれば本来は肌にとって必要なものなので、過剰な洗顔などで皮脂を取り過ぎてしまうと、無防備になった肌を守るために再び皮脂が過剰分泌されるということがあります。
そのため、洗顔や脂取り紙の使用はほどほどにしておいた方がいいです。
そして洗顔後は必ず保湿を心がけてください。
十分な保湿が行われていないとやはり肌を保護するために皮脂が過剰分泌されてしまいます。
過剰な回数の洗顔や刺激の強い洗顔料でゴシゴシと強い洗顔をしないように気をつけて、保湿にも気を配ってください。

赤ちゃんがいても安全に使える暖房器具

赤ちゃんや幼児がいる家庭にとって、暖房器具を選ぶ時に一番気になるのが安全性ですね。
赤ちゃんにも安全な暖房器具といえばエアコンやオイルヒーターなどが思い浮かびますが、おすすめなのは遠赤外線ヒーターです。

まず最初のおすすめポイントは「燃焼しない暖房である」という点です。
石油ヒーターなどの燃焼する暖房器具は定期的に部屋の換気を行う必要があります。
長時間換気をせずに使用していると、一酸化炭素中毒になることもありとても危険です。
そのため、夜赤ちゃんが寝ている部屋で一晩付けっ放しにはできません。
しかし遠赤外線ヒーターであれば一日中付けたままでも空気が汚れることが無く、安心して使えます。

次に「赤ちゃんが本体にさわっても高温やけどをしない」というおすすめポイントがあります。
遠赤外線ヒーターは本体があまり熱くならないような構造になっているので、ちょっとさわったぐらいでは高温やけどはしません。
赤ちゃんにはなるべく触らせないようにした方がいいのはもちろんですが、触ってしまったとしても高温やけどはしません。

次にオイルヒーターよりも重量が軽いというのもポイントです。
遠赤外線ヒーターはオイルヒーターと違って重量が軽めなので部屋を移動して使ったり、洗面所や脱衣所に持っていったり、1階から2階に持っていったりということが簡単にできます。
また、重量が軽いということは万が一赤ちゃんが本体を倒してしまった場合などにも赤ちゃんがヒーターの重さで怪我をしにくいということも言えます。

遠赤外線ヒーターは風が出ない暖房なので、エアコンの温風が苦手だという人にも向いています。

具体的にどんな遠赤外線ヒーターを買えばいいのかということについては下記のサイトで詳しく解説されていますので、参考にしてください。
>>赤ちゃんのいる家庭におすすめの安全な暖房器具

宮本百合子

 ロジェ・マルタン・デュガールの長篇小説「チボー家の人々」は太平洋戦争がはじまる前に、その第七巻までが訳された。山内義雄氏の翻訳で、どっさりの人に愛読されていたものであったが、ドイツのナチズムとイタリーのファシズムの真似一点ばりだった当時の日本の政府は、敵性の文学であるという理由で、それから益々興味ふかくなる第八巻からあとの出版をさせなかった。
「灰色のノート」からはじまるこの長篇小説の主人公はジャックという少年である。「灰色のノート」では、宗教学校の偽善的な教育にあき足りない激しい性質のジャックの苦悩と、彼に対する周囲の誤解のみにくさが描かれている。「一九一四年夏」は、一昨年「チボー家の人々」第八巻として幾年ぶりかで出版された。翻訳権の問題がきまれば、つづけて終りまで本になるであろう。「一九一四年夏」は、第一次ヨーロッパ大戦のはじまったときである。少年から青年になっているジャックは「灰色のノート」からのち幾多の人間形成の波瀾を経験して、いまジェネヴァに来ている。彼は国際革命家集団に属している。そして、ジェネヴァで、第一次ヨーロッパ大戦のはじまる前後のきわめて切迫した国際情勢にふれる。
 やがて、第一次ヨーロッパ大戦にまきこまれたジャックが、どういう風に国際的な資本主義経済の自己撞着と戦争の矛盾を発見し、彼のヒューマニティーに立って社会歴史の発展に対する情熱に献身するか、それは、わたしたちの前にまだ日本訳としてあらわれていない後篇に語られている。

 マルクス=エンゲルス全集というと、赤茶色クロース表紙の書籍が、私たちの目にある。この本のために、これまでの日本の読者は、どんなに愛情を経験し、また苦労をなめてきただろう。階級のある社会に生活をいとなんでいる以上、そのなかで働いて生活している者であるかぎり、文化の仕事をしていようと肉体の労働にしたがっている人々であろうと、いわば常識の底岩として、それぞれの理解力にしたがって生活知識のうちにうけいれられていていいはずの、この本の赤茶色が、日本では思想犯のきせられる煉瓦色の獄衣の色に通じていた。過去十数年の間、ひどい時期には、この赤茶色の本は、たとえ一冊でも、徳川時代の禁書のように天皇制権力の目からかくされた。そして、かくされればかくされるほど、それは人々の生活の奥へもぐり、現実によってその理論の真実をたしかめられつつ思想の底にしみいって生きつづけ、こんにちヨーロッパとアジアにはばひろく流れる人民民主主義への源泉となった。
 マルクス=エンゲルス全集については、またもう一面の苦労があった。それは、翻訳の文章がむずかしいことである。ドイツ語のよめる人はいつもドイツ語の原文はよくわかると云っていた。これまでの改造社版ができた頃の日本の解放運動のなかで、一つの癖のように使われたぎくしゃくした明晰を欠いた文章がひっかかりとなって、たださえむずかしい部分が、まるでむずかしかった。ほんとに頭が痛くなった。マルクス=エンゲルスの論理的な文章と日本語の構成的集約的でない言語の性格との間から、がたがたしたところができていたのだろう。

 この小説の最後の一行を読み終って、さてと心にのこされたものをさぐって見ると、それは作者がカソリック精神で表現している「死の意味」への納得ではなくて、死というものをもこれだけに追究しとり組んで行く、人間の生きてゆく姿の感銘であるのは、非常に面白いところであると思われる。私たちの世代では、人間一人の生の意味の面からの追究でなければ、死にも触れなくなって来ているところも、フランスと日本の習慣の相異を超えた今日から明日への相似であろうと思う。

 だいぶ古いことですが、イギリスの『タイムズ』という一流新聞の文芸附録に『乞食から国王まで』という本の紹介がのっていました。著者は四〇歳を越した一人の看護婦でした。二〇年余の看護婦としての経験と彼女の優秀な資格は、ロンドン市立病院の一人の看護婦である彼女を、人生のいろいろの場面に立ちあわせることになりました。行路病者として運びこまれた乞食の臨終に立ちあった彼女は、その優れた資質によってイギリス国王の病床にも侍しました。乞食であろうと国王であろうと、人間の病気とその苦悩、治癒と死の過程は、ひとしく人類の通る道です。しかし、病気そのものは一つでも、それをとりまく人生の道具だては、同じロンドンの空の下で、乞食と国王とでは何たるちがいでしょう。『乞食から国王まで』の著者は、社会のどん底から、てっぺんまでを看護婦として通ってみて、人間とその病気とが、人生の何を語るかということを書いた本でした。
 丁度日本が中国への戦争を拡大していたころで、間もなくわたしはその新聞さえよむことができなくなりました。したがって、その本も輸入されませんでしたが、ロンドンの一人の看護婦のかいた『乞食から国王まで』という本の名とその内容は、忘られないで、記憶にとどまっています。